2017年3月30日木曜日

ただの言い訳、ってね

 お金をお金たらしめるものはなんでしょうか。ものの本によると、貨幣とは①ほとんどどんなものとも交換できて②価値の尺度となり③いつでもどこでもその価値が減じないものだそうです。(晝間文彦、新世社『金融論 第三版』p16,p17より、要約)そして大前提として、一般に「これはそういう機能があるものだ」と信じられていることが必要だそうです。前述の本では「社会的な信認」と表現されています。つまりお金は、皆が「これには価値がある」と信じているからこそお金たり得ているのです。

 なぜこんな話を長々としたかというと、今日ちょっとした失敗をしてしまったからです。見慣れない外国の貨幣をたくさん扱う業務をしたのですが、大事な会社のお金なのに乱雑に扱ってしまい、怒られてしまいました。詳細は恥ずかしいので言いませんが、自分でもちょっと反省するくらいの良くない扱い方でした。同じ額の日本円を扱っていたら、絶対そんな扱いはしなかったでしょう。

のちほどつらつら、どうしてそんなことをしてしまったのかを考えてみて、上の話を思い出したのです。自分はそのお金たちをお金だと思えていなかったのでないかと。確かにそれらはいわゆるお札やコインの形をしていて、見た目は貨幣と言えたでしょう。しかし日本のものとは似てもにつきませんでした。日本とは全然違う素材でつくられていたり、落書きがされていたり、ひどく汚れていたり……。結局のところ、僕がそれを日本のお金と同じ価値のあるものだと信じられたのは、ネットでそのお金もどきたちと日本円の交換レートを見て、日本円で考えた時、ようやくだったのです。


 理由が何であれ、仕事でお金をきちんと扱えないのは大変な問題です。猛省しなくてはなりません。ただ、少し思いついたのは、あなたのそのお金は本当に価値があって、存在しているものなのか、というフレーズです。預金通帳を開くと数字の羅列があるでしょう。それは本当にあなたのものである、価値のあるお金ですか?銀行がつぶれたら引き出せない、返ってこない。そんなことはないと思っているから預けているんでしょうけど、なぜ銀行はなくならないと信じられるんでしょう?オチはありません。

2017年3月28日火曜日

最近のドル円と日経平均について

 唐突に安い経済ブログみたいなタイトルをつけてしまいました。FX絡みの、必勝法伝授!みたいなサイトとかにお茶濁しみたいに書かれてそうなお題目。そんなこと言うなら書くなよ、っていう話ですよね。まあ書くんですけど。

 ドル円がここ数日は110円台で推移していますね。およそ一月前は114円台、ともすれば115円に届く日もあったことを考えるとオドロキです。4か月ぶりの円高水準らしいですよ。原因はトランプ政権への不安感が増したこと、みたいな記事を読みました。たぶんそうなのでしょう。個人的には、これまでが期待し過ぎだったのだと思います。あれだけ賛否が分かれた大統領なのですから、何かをしようとすれば反発や混乱が起こるのは必至。大体このくらい、としか言えませんが、ドル円は今くらいの値が妥当ではないでしょうか。そう考えると、一度下がった日経平均がまた持ち直したことに気味悪さを感じます。現在の高値水準は日銀が緩和しまくりの資金投下しまくりで、悪く言えば買い支えている面が多分にあると思います。実体経済に対する期待から投資するのではなく、投機感覚の人も多いのでは?


 具体的に何がという話では全くありませんが(予防線)、株価に限らず、見るべきものから目をそらしていることが多いような気がします。中東問題・ISの問題が報じられる量がめっきり減った気がしますが、まだ戦闘は続いているのでは?雪崩もベトナム人の女の子が連れ去られたのも大変悲惨な事件だけど、籠池はどうなった?いかにもワイドショー的に、大きな事件を次から次へと流してなんとなく風化させていくような雰囲気があると思います。自分の足で地に立って、見るべき方向を見定め続ける根気が求められているのではないでしょうか。

2017年3月27日月曜日

もう一度【落としました】(クソ)

またブログの掲載を落としてしまいました……。くたくただったのですっかり忘れてしまったのです。良くないですね。オアソビならいいですが、もし仕事としたら大問題です。疲れたから忘れた、なんて通らないでしょう。猛省しなくては。ひとまず今日と明日続けて書いて取り返します。

 ほのめかしてしまいましたが、くたくただったのには理由があります。土日連チャンで出かけていたのです。土曜日は夕方から終電まで飲み会、昨日もお昼から海外の友人に街を案内していました。そして昨日の夜にはこれに行きました。




amazarashi Live Tour 2017 「メッセージボトル」の初日、Zepp Nagoyaです。始まるまでがまず大変。あいにくの天気で、それまで小雨だった雨が開場時間である17時ごろから急に大粒になりました。Zeppは雨をしのげる場所が少ないうえに、傘を持っていない人も多くいらしてみなさんすっかり濡れてしまいました。さらに開場自体も予定より40分遅れ、最初のうちは「いやあ雨ざらしになっちゃったね」なんて声が聞こえていたのが、だんだん無言になっていく。それでも開場してから開演自体は20分遅れくらいで済んでいたので、スタッフが頑張ったのでしょうか。

さて、肝心のライブはといえば、かなり良いものでした!amazarashiのウリである曲ごとのオリジナル映像を前面に上映しながら歌う演出は、何度見ても強く印象に残ります。また、ボーカル&中心メンバーの秋田ひろむさんは声が出る出る。その勢いは、スクリーンの後ろから映像を飛び越えて歌詞を耳に突き刺さしてくるかのようでした。


 ありふれた表現で、既に言われていることかもしれませんが、amazarashiの曲が描こうとしているのは「辛く荒涼とした現実」と「愛する人ともにそれを乗り越え、光明をつかむ人間」だと思います。この日歌われた曲には全てこのメッセージがあり、僕自身深く心に感じ入るものがありました。

2017年3月24日金曜日

それを言っちゃあ、お終めぇよ

 少し触れるのが遅いですが、20日に冲方さんがブログを更新されましたね。内容は最近恒例になっている本棚の紹介でしたが、随所で疲れを口にされているのが気になりました。冲方さんのブログは10年近く拝読していますが、このような弱気なことを書かれたのは初めてじゃないかと思うので。ご病気と初の休載が精神的にもダメージになってしまっていらっしゃるのでしょうか。心配です。そうは言っても何もしていないんですけど……。良くないですね。例の事件の時(察してください)はファンレターを送ったんですが。でもそれも読んでもらえていないかもしれませんね。『こち留』で「事件に触れたファンレターは差し入れてもらっても検閲されているようだった」というようなことが書かれていましたから。無情。暗くなってしまいました。

 今日は書くことが中々思いつかなかったので、冲方さんを見習って自分の持っている本を紹介しようとしてみました。でも結論を言ってしまえばやめました。うまく文章が書き進められなかったのです。気に入った部分や、どういった点が良いか、ということを説明しようと思うと、ついつい作中の表現を引っ張ってきたり、話の筋を長々と書いてしまったりします。そして最終的に自分の言葉が少なくなってしまうからです。それでは本のコピペをすれば事足りて、僕のブログという形にそぐわなくなってしまうでしょう。もっと筆力があれば、うまく抽象的に書けるのでしょうか。考えて、精進しなくては。


 今までいくつか音楽や本を紹介する記事を投稿しましたが、実は毎回はがゆさを感じていました。前回の投稿でもやったのに!すみません。自分が感じた良さを言葉にしてみても、ひどく陳腐で全然実態にそぐわないもののように感じてしまうのです。とにかく原典にあたってくれよ、と思ってしまいます。本当に良いものは他の言葉で代替できないから良さがあるのかもしれません。心の中にあるもの、想像したことを自分だけの言葉で積み上げたとき、人の心の琴線に触れる何かが生まれるのでしょう。

2017年3月22日水曜日

曲の良さを言葉で伝えるのはムズカシイ(小並感)

 今日はなんだかくたびれました。特に思い当る節がないのですが。原因が見つからないとか、力のはっきりしたぶつけ先がない時の方が、日々の細かな疲れを積もらせてしまうのかも、と思ったり。ばしんと発散できる場面がありませんから。というわけで、作業をしながら、自分チョイスの元気が出る音楽をずっとかけっぱなしにしていました。それらを一部公開!

 ・yet/clammbon



 20年以上活動している大御所バンド、clammbon。この曲は編曲にかの有名な菅野よう子さんを加えた豪華なシングルです。ボーカルの原田郁子さんの特徴的な歌声と、軽やかなストリングスが大変にマッチしています。サビの、
“いっせーのーせって声聞きこえる?のこされた僕らつづけなくちゃ”というフレーズは、ストーリーなどなくても前向きな気持ちを起こしてくれます。


 ・ノットフォーセール・フォッシル/分島花音



 以前のブログでも紹介した分島花音さんの曲。こちらの編曲は江口亮さんといって、ポルノグラフィティやいきものがかりのアレンジも手掛けてきた実力のある方です。この曲もサビが良い!“憧れよさよならいつか 地上からこの声を聴いて”“100万年間化石になって 痣の様に傷の様に消えない気持ちを抱いてる”意味がぱっとは分からないけれど、とにかく前向きに立とうという思いが伝わります。フルで視聴してもらえないのが悲しい……。


 本当はもっと紹介したい曲がありますが、公式できちんと聴けるものがなかなか見つからなかったので今日はここまで。違法アップロードされている曲ならたくさん見つけられるんですが、それを使うのはやめようと決めています。ウタはいいねえ。

2017年3月20日月曜日

紙の本を読みなよ、なんて言えなくなってしまったかも

 久しぶりに本屋に行きました。欲しいマンガがあったからです。どれくらい久しぶりかというと、ひと月ぶりくらいです。この長さをどう思うかは皆様次第。少なくとも僕にとっては久々になります。学生時代は2,3日に一度は覗いていましたからね。単純に大学の近くにあったから。今は自転車を20分はこがないといけないし、周りに他に楽しめるものもないので、なかなかそれだけのためにはいけません。

 とはいえ、久々に行くと色々な発見がありました。発売されたことに気づいていなかったマンガの続巻を発見したり、好きな作家の新シリーズが開始されたことを知ったり、刊行されている本の物量に圧倒されたり。本屋に行けば小説からマンガ、雑誌にノンフィクションと、多種多様なカテゴリの書籍があり、それらが何百冊とあるというのは日本の良いところの一つでしょう。楽しく過ごせました。

 しかし、今日のこのブログを書くためにこの経験を思い返していたところ、一つの考えに思い当ってしまいました。これと同じような経験はアマゾンでできるんじゃないか?と。試しに、いつもトップ画面から検索して済ませていたために素通りしていたアマゾンの「本」のカテゴリーに入ってみました。するとやはりあるではないですか、「コミック・ラノベ」「雑誌」といったジャンル一覧の中に「新刊・予約」の文字が。そこを見てみればすべてのジャンルにおける新刊が列挙!もちろんkindle版が販売されているものもあるので、そういう本なら即購入して読めます。立ち読みしたければ「なか見検索」を使ったり、公式サイトに行けばほぼ同じ経験が可能です。これはもはや本屋に行く意味がない……。僕はネットを使い慣れている方だと思っていましたが、今更知ったこの事実に衝撃を受けました。


 こうなると「紙の」本の価値も危ぶまれてきます。とっさに思いつくのは電気を使わなくて済むから旅行先とかで手軽に読める、ということくらい。でもそれだって「重いしかさばる」「暗いところで読めない」とか言われてしまったらどちらを優先するか、という話になってしまうし。もはや絶対的な優位はないのか。何か思いつく人がいたら教えてください。

2017年3月18日土曜日

話が散ります。まるで僕のショットのように

 毎度のことでゴルフに行ってきました。しかし今日は一味違います。初のラウンドデビュー!だったのです。でもラウンドってなんですか?という感じですよね。僕も定義がちゃんとわかっていなかったので今wikiを見ました。#今更 #しかもwiki
 ゴルフの玉を打ち込む例の穴をカップと言いますが、スタートからその穴までのひとつひとつのコースをホールといいます。これが18コースあるのがラウンドだそうです。これを用意しているのがいわゆるゴルフ場。ナントカカントカ・カントリークラブ、というやつです。日本でカントリークラブと名乗るのは大体どこもゴルフ場ですが、世界的には、会員制でスポーツを始めとした娯楽施設を提供している場所ならなんでもカントリークラブだそうです。また一つ勉強になりました。


 行ってきたのは三重県津市にあるゴルフ場です。津市って皆さん知っていますか?日本一短い市の名称らしいですよ。他に有名なものは僕も知りません。津の地を踏んだのも今日が初めてでした。知っているのはこの曲だけ……。興味があったら聞いてみてください。






愛知県の僕の家から津市はおよそ100km程度なのですが、とにかく道が混雑!今日は三連休の初日だということを忘れていました。また、東名阪の四日市JCT付近がとにかくいつも混む場所だそうで、ここに捕まったのも痛手でしたね。


 さて、肝心のゴルフ自体はといえば、なかなか悪くない経験でした。まず良かったのは、快晴だったこと!気温も低すぎず、とても気持ちが良かったです。一方大変だったのは、なにせ初めてのラウンドで、やり方も分からなければ、全然思い通りに打てなかったこと。打ちっぱなしと違って、前後にいる人のことを考えながら動かなくてはいけません。飛んでくる玉に当たらないよう/当てないよう気を付けたり、後ろの人を待たせないよう急いでばしばし打って飛ばさないといけなかったり。大変面白くはあったのですが、他の人に迷惑をかけてしまいました。もっと精進します。

2017年3月16日木曜日

身体から菌を完全に除去したらどうなる?そういう話

 久々にニュース、新聞記事について書こうと思います。内容に嫌な気分になったので……。こちらです。


大筋の内容に異論はありません。僕は喫煙者ですが、今は煙草が流行っていない時代だという自覚はあります。屋内全面禁煙は、してほしくはないですが仕方ないかなと思っています。増税ももう少し進むだろうし、進ませても良いだろうと思っています。(その時自分が吸うかどうかの判断はまた別として。)しかし、この記事の随所随所が気になるのです。言ってしまえば「極端で気持ち悪い」という一言に集約されます。朝日新聞は購読していますが、受動喫煙関連の記事の書きぶりはどうにも気に入りません。

まず気になるのが、朝日の受動喫煙関連の記事に頻出する『世界保健機関(WHO)から対策が「世界最低レベル」と指摘』という表現です。世界最低レベルって何?何カ国中の何位くらい?どういう観点で?ちゃんと書いてくれよ、というのが第一なのですが、ぐっとこらえてソースを探しました。どうやら厚生労働省が去年の9月に公表した「喫煙と健康 喫煙の健康影響に関する検討会報告書」という文書にそう書いてあるようです。しかし、これを見ても、確かにWTOにそう指摘されたとは書かれていますが、出典は不明。僕の調べ方が悪いのかもしれませんが、それにしても分かりにくいことには変わりないと思います。こんなに根拠が分かりにくいものを断言調で書いて良いのでしょうか?

さらに気になるのは掲載されている二人のコメントです。『吸う人の服や吐く息からもにおいや有害物質は漏れており、苦情の声は絶えません。』『医師をはじめ医療スタッフは、あらゆる場で禁煙に誘導すべきです。』太字は僕がつけました。服や吐く息のにおいがダメなら、体質で汗をたくさんかいたり、口が臭ってしまうしまう人も苦しみと苦情の源?あくまで対処的な治療が最初の目標の医療スタッフが、個人の生活にまでに介入する?生活指導なら希望者だけで十分では。

他にも色々文句を言いたい点はあるのですが、字数も筆力もないのでこれくらいにしておきます。たとえそれが悪いものでも、何かがまったくない世界というのは、どこかで歪みを抱えるのではないかと僕は思います。

2017年3月14日火曜日

163.5/61

新しい傾向のタイトルをつけてしまいました。なにを指しているでしょう?僕の身長と平均体重です。でってゅう、という感じですかね。中身は何も新しくないという……。少し太ってしまった、という話をしたいのです。現在62.5kgあります。やってしまいました。土日スキーに出かけて、宿でのんびりしたせいでしょうね。結構疲れたんですけど。スキーというのは有酸素運動じゃないから、カロリーを消費しないんだと思います。

 昔から痩せているわけではありません。お腹が出やすいたちなんです。それ自体はとてつもなく嫌だ、というわけではなく、ちょっとは仕方ないかな、くらいの感じ。嫌なのは自分の平均体重から逸れてしまったことです。直接どうこう、というわけではありませんが、身体が重く感じてしまって、気持ちが悪いのです。武井壮が「自分の身体を思い通りに動かせるようにすればスポーツがうまくなる」的なことを言っているのは有名な話だと思いますが、僕も全く同感です。身体が重いと、これをするための最低条件も整っていませんもんね。

 大体食べ過ぎるとやはり気分が妙な感じになります。僕の好きな作家の森博嗣さんは、空腹のときの方が調子が良いそうで、食事もあまりとらないそうです。僕もその境地に達したいと思いつつまだできていません。お腹が減るとふらふらしてしまう凡人です。ただ、胃に少しだけ食べ物を入れておく感じが僕には合っています。空腹を感じたらすぐ軽く食べられる状況が好きです。そういう空間に常に自分を置いておきたい。そうすることで一番良い結果が得られると分かっているからです。ただ、随分とぜいたくかつ不自然な嗜好ではありますよね。古来食事なんてのはいつとれるか分からない不定期なものだったのですから。僕は傲慢な人間です。

2017年3月12日日曜日

I'm not such a person

 前回の投稿を見返してみたら、全然いつもの文字数に足りていなかったことに気づいて少しショックを受けています。カナシイ。いつもWordで下書きをして、それを投稿しているんですが、前回はスマホアプリ版でやったのです。文字数がリアルタイムで画面に表示されないので、自らの感覚を信じて投稿した結果がこれですよ。なにが「字数が割と目標に達した」か……。2割くらいも足りてないですよ。自分のことなんて信用できませんね。

 今回のことは一例で、実は大体いつもそういう風に思っています。何をやっていてもそういうことを考えてしまうというか。例えば、誘われて遊びに行っても、途中でつまらないなと思ってしまったり。自分の判断で楽しいと思って、予定を決めて行ったくせにね。失礼な話です。僕がつまらなさそうな顔をしていて、もしそのせいで気を遣わせた人がいたら、今この場を借りて謝罪させて頂きます。申し訳ありません、あなたのせいではないですよ。<(_ _)>

 他にも色々例は出せるでしょう。こうすればうまくいく、と思って答えたことが相手の期待に沿うものではなかったり。この道を進めば最短で目的地にたどり着けると思ったのに、結果的には遠回りだったり。人間の判断なんてその程度のものでは。ただ、忘れてはならないのが、それら全部自分の責任で考えて決めたことだということでしょう。そういう時に外の物事や、他人のせいにするのが一番最悪です。実態を見ない、嫌な人間になり下がってしまいます。
 

 あまねく物事は全て自分に関わります。縁とか、輪廻とか、案外大げさなつくりごとではないのでは?100%外のせい、ということはないと思います。程度の差こそあれ多くのことは自分のせいで、だから多くのことはうまくいかないものです。この程度の自分がかかずらってしまっているんですから。新聞で読みましたが、安全保障理事会の会合で、現在世界で約二千万人以上の人が飢えに苦しんでいることが発表されたそうですよ。今日食べ物を捨てませんでしたか?

2017年3月10日金曜日

書く、積もる。同じことが

 ブログを書く前はある程度ネタを探して考えます。何も考えずに書いた方が筆は進みますが、あんまり意味がなくなると思うからです。作業の価値という意味ではなく、文章自体に。ニュースサイトをチェックして、Twitterのタイムラインを眺めて、その日あったことを思い返します。だいたいこの順番。自分の遠くであったことから、近くであったことに近づいていくわけです。離れた場所で起こった出来事が、自分の身の回りに通じている点を見つけたりして。そういうものがネタになるし、勉強になります。

 見つける、という表現をしましたが、なくしていたもの・隠れていたものを発見したような小気味よさを感じられるのです。生活を楽しくするのはそういう気持ちよさではないでしょうか。友人と遊んだり、飲みに行ったりするのも、少し種類は違うかもしれませんが、同じようなものだと思います。人との交わりに、楽しい気持ちを見つけに行っているのでは。

 つらつら書いてしまいました。字数が割と目標に達したので、今日はこの辺にしましょう。ニュースに絡めて書くんじゃないのかって?いやあ、そうやって探すというだけの話で……。清水富美加の出家のことでも書きましょうか?(全然関係ない)

2017年3月8日水曜日

ハッピー・キャッチー・オピニオン

 前回の話題が少し暗かったので反省しました。読んで楽しいものではなかったような気がします。そんなつもりではなかったのですが。ブログやエッセイなどというものは概してふわりとして気楽なものが良いでしょう。元来がそういう読み物ですから。読者の方はそういうつもりで読むのだから、作者もそれに沿うのが道理。ユーザーの希望をなるべく汲み取るのが生産者の責任だと思います。この観点からはやはり少々失敗でした。なので今後はイージーなことを書きます。(宣言)

 さて、今日新しい曲を知りました。これです。





  NakamuraEmiの「大人の言うことを聞け」。友人に最近ハマっている曲は何?と尋ねたら教えてくれました。アーティストのNakamuraEmiさんはオフィス・オーガスタの久々の新人としてかなりプッシュされています。メジャーデビューアルバムから少し間があったので忘れていましたが、新譜としてこの曲を出すようです。あまり耳馴染みがないタイトルと、アップテンポすぎないメロディがとても印象的ではないでしょうか。しかもちょうど今日発売!(レコード会社の回し者並みの発言)
 


 このように、自分がおろそかにしていたものを人から教えてもらえると、目を覚ましてもらったかのような気持ちの良さがあります。自分で気づける方が快適ではありますが、他人から提案してもらえるとより痛快です。自分以外の視点の価値とはそういった場所にあるでしょう。僕が友人を大切にするのは、その労苦に見合うこの価値を与えてくれると思うからです。決して善意や生来の気持ちだけではありません。それほど良い人間ではないですから。他人の価値と自分の凡庸さに自覚的でありたいです。そういう気持ちが世の中を平和にし、自分を成長させてくれるでしょう。

2017年3月6日月曜日

骨髄バンクに口座開設(違う)

昨日、土曜に出かけた時に献血に行ったという話を書きましたが、この時骨髄バンクにも一緒に登録しました。前からやろうと思っていたからです。最初に思い立った時には、検眼登録も行いました。マイナでしょうか。死んだら網膜を白内障の人に寄付するというものです。このほかにも、献体登録をしようと思っています。これはもう少し有名でしょう。登録すると、死後に病院での医学生の実習解剖用に身体を使ってもらえます。こんなにたくさんやっているのは最近のことです。どうせやるなら徹底的に、というのが僕のモットーなので、やり始めたら良いキリを見つけられなくなってしまいました。

こんなことに僕のような若者が関心を持つことは、人からは不審に思われるかもしれません。多くの場合、こういうのをやりたがるのはお年寄りではないでしょうか。他の言い方をすれば、死期を感じた人。別に老人が常に自分の寿命のことを考えているとは思っていません。ただ、死が近いことを悟ったら、自分の身体を有効に使ってほしいと思うのではないか、という推測です。過去の悪事の罪滅ぼしになるとか思ってしまったりして。いよいよ決めつけ。

僕自身もそんなに高い志をもって登録しているわけではありません。僕は単に、自分の身体がモノであるということを確かめたいのです。他人の身体に入っても活動可能な、代替できる部品の集合体でしかないことを実感していたい。身体だってそんなものなのだから、自分が生み出すものだってその程度の、吹けば飛ぶようなものだということを忘れないでいたい。この理由で献血も好きです。針が刺さって血が抜かれていくのを眺めていると、自分はこんな妙な色の液体が巡っているおかげで生きているだけのおかしな存在だと思えます。


別に自分や人間を悲観しているわけではありません。そんな虚しくて些細なものが、人の心に何かをもたらすことも確かにあると僕は信じています。ただ、モノだと思えば、自分をコントロールできる幅が広がる。あまり自分たちを特別な存在と思うのは危険でしょう。

2017年3月5日日曜日

失念と執筆のはざま

 昨日はブログの更新日だったのを忘れてしまいました。なので今日明日と久々に二日連続にしようと思っています。朝からドタバタしていたので、ついつい……。言い訳ですね。

 忙しかったのはあちこち出かけていたためです。済ましたい用事がたくさんあったのですよ。あさイチで病院に行って定期的にもらっている皮膚のクスリをもらって、車に給油。昼食は祖父母のところに顔を出したら改めて繁華街に出て来年度の手帳を買い、春服を見繕ったら、献血ルームにGO。血を抜かれる引き換えに休憩がてらの飲み物をもらったら、再出発してくたびれていた仕事用の靴を買い換えました。最後にシーズンらしくホワイトデーのお返しを手配してフィニッシュ。最後にフィニッシュって被っていますか?本当は新しい財布も見たかったんですが、時間切れでできませんでした。忙しさ自慢だと思われますかね。そんなこと考えるなら書かなきゃいいんですけど、もう書いてしまいました。

 今住んでいるところは少々街の中心から離れているので、ちょっといいものを買いに行こうと思うと足を伸ばさないといけません。手間なので、色々まとめて済まそうと思うのは普通でしょう。だから毎日思いついたらメモしておいて、行けた時にそれを見ながら全部済ませてしまいます。その結果上記のように列挙することになってしまうんですよね。 ただ、こういうことをしていると、脳が消費者のモードになってしまうのが難点です。落ち着いて文章を書くような体勢に自分をもっていけません。だから忘れてしまったんじゃないかと少し思っているんですが。かといってハンパなことをすると効率が悪くなるし。


なので、現状の対応策は早寝早起きです。早起きしてなるべく空いているうちに用件を済ませて、早寝してなるべく早くそういうモードをシャットダウンしてしまう。前にも書いた気がしますが、僕は朝型なので、生活スタイルにも合っていると感じます。でももっと効率をあげて、量を書かないと……。なにか他にいい方法があったら教えてください。

2017年3月2日木曜日

毎日体を動かします、エッサホイエッサホイ

僕が働いている会社では毎朝ラジオ体操をやります。第一です。この前に、朝起きた時、個人的に第二をやっています。フルコースですね。これに加えて帰宅後は筋トレをします。腕立て&腹筋&背筋&スクワット×50。大したことないって?それは言っちゃダメー。

 筋肉をつけるためとか、ダイエットをするためとかではなく、単に体を動かすためだけに動かしています。良い効果があると感じるからです。朝起きた時は目が覚めて、スッキリします。仕事前は、体の準備ができた気がして、やる気が出ます。労働後は、座り続けてこわばった体がほぐれるようで、スッキリします。重複してしまった。僕は比較的インドア派で、一日パソコンをやっても嫌な気分にはなりませんが、さすがに疲れます。これが軽い運動で癒せると、やはり自分は人間で、人間は動物であるという感覚を持ちます。体を動かして食料を確保するのが、動物の生存の最低条件ですから。体を動かさなくても食料をやすやすと得られてしまうというのは実はいびつな状況でしょう。

 別に体を動かさないストレス解消法だっていくらもあるとは思います。ゲームなんてまさにそうでしょう。火葬の自分を動かしているわけです。読書や映画なども悪くないのではないでしょうか。不自由な体から離れて、想像の世界、物語の世界で羽を伸ばせます。ただ個人的には、それが直接にストレス解消につながらなくても、体を動かそうという志向を時には持った方が良いと思います。今は仮想現実の技術も進歩しています。この体で生きている自分という感覚を忘れてしまう時がいつかくるのでは。どうでもいいですが、羽を伸ばすことがなんで体を休めることになるんでしょうね。人間には羽なんてないのに。実際に羽がある鳥なんかがリラックスして休もうと思ったら、巣で丸くなったりするのでは?脱線……。