2017年6月24日土曜日

久々に ブログを書いて ことばヘン

 今日は一日『シュヴェーアト』の続きを書いていました。もう暑くてかなわんですね。夏でございます。

 僕の家はマンションなので、熱がこもってキツいんです。冬は暖かいんですが。あと家の近くに田んぼがあるので、この時期はカエルの鳴き声がうるさい!まるで催眠音波!!

 しかし、こう酷暑になると、どんどんオイレン/スプライト4巻みたいな世界に現実が近づいているような気がしますね?

 執筆の関係でダルフールの平均気温を調べていましたが、スーダンの1月は平均最高気温が36℃らしいです。(英語版wiki「エルファシル」の項より)その数字見ても、あんまり驚きませんでしたもんね。ふーんスーダンでも40℃いかないのか~みたいな。セイセイ冬だぞ、みたいな。猛暑に慣れてしまっている。

 アメリカがパリ協定を離脱してしまったらこの傾向も加速されるのでしょうか。ネットで見たのですが離脱宣言後、ドイツのメルケル首相が「欧州人はもう他国の首脳を信じられなくなった」的なことを演説したそうです。

 一国の・しかもドイツの首相にそこまで言わせる大統領のヤバさたるや。トランプさん/アメリカ国民がこの決断を後日後悔するようなことがなければいいんですけど。

 僕個人は近年の保護主義的/各国主義的な傾向はシュピーゲルで言うところの『自分の国とはいったいなんであるかを問うための新たなナショナリズム』の時期なのだと思っています。(スプライト2巻より)そういう意味では、シュピーゲルはある側面で現実を予期していたのではないでしょうか。

 イギリスがEU離脱に動いてしまったり、フランスが国内に軍を展開してしまったり、作品を裏切る悲しいことも現実になってしまいましたけれど、作品が見せてくれた良い未来を信じて生きていきたいです。

2017年6月22日木曜日

“お前は正しく夢を見ることができるか?”


――《413729231713117》――

 バシーンッ!はっ!!

 お久しぶりです!夏コミに落ちたショックでフロー状態になっていました……。ツイートもできない孤独な戦いの末、何とか時間面を進めることができましたしみじみ。
 
 ということで、告知をします!!!


「シュヴェーアトシュピーゲル」第壱章公開しました!(クリックで作品へ)



剣〈シュヴェーアト〉の幸福/矢〈ファーレ〉の失墜

本編で涼月たちを苦しめた特甲猟兵・ユング兄弟――そのうち、初出時既に亡くなっており「テスタメント2」で亡霊のような形で”復活”した末弟=剣・シンケル・ユング。
 レベル3の副作用たるフロー状態に真っ先に陥り/二人の兄にいじめ殺されるという壮絶な運命をたどった彼の人生とは何だったのか?

 第二章以降は夏コミ近辺で公開/頒布の予定!夏コミ落ちたけど!!頒布方法のめど全然たってないけど!!乞うご期待!!!


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 初☆オリジナル小説!

 
男子高校生、永屋覚徒(かくと)には憎むべき相手がいる――その名は『アリア』。
覚徒は激しいその感情を自分でも扱いかねていた。ひとに揺さぶられた心を、ひとに向けるための物語。

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 久々にブログを書いたからびっくりマーク(←エクスクラメーションと言え)を濫用してしまいました。!< やめろ…俺を濫用するな……

 今日からは平常運転に戻ります。ブログも定期更新を再開しますし、何も言わずに始めたSS=”loop”の続きもやりたいのです。あっ、サミットも行きますよ!くう~前進前進~~。しゅっしゅっしゅっしゅっ――ぼーっ!!(エンデミオン号風に)

2017年6月5日月曜日

孤独のグルメ(一人暮らし的な意味で)

最近食事をモリモリ食べています。たまたまスーパーに行ったときに、たまたま食材が安いことが多かったので。朝から晩まできっちり三品ずつ。健康的!

とはいえ、男の一人暮らしなので凝った調理はしませんが。大体肉と野菜を炒めて塩コショウをかけるだけ。肉⇔卵だったり塩⇔しょうゆ⇔ケチャップに置換可能です。ホントは焼き肉のたれが欲しいんですけどね。絶対余らせて捨てるハメになるからモッタイナイ!

定番は↑の主菜にインスタント味噌汁とサトウのご飯的なレトルト米をつけます。そこは手を抜くのかって?いやいや、これぐらいじゃないと続けられないから。栄養価的にも味的にもOKOK!

以前は主菜も冷凍食品だったり、米も味噌汁もなくてカップラーメンだったりしたんですけど、やはり味気ないんですよね。無理やり濃く味付けされたものを食べている感がすごい。口を通って行った感じはするけど、食べた!という感じがしない。

自分で素材を買って作ると、この点が違うんですよね。生きながらえている、という実感があります。食事によって。食べ物が何からできているのか、ひいては自分が何からできているのか、思いをはせられるのです。

そしてつけあわせは必ずこれ


なんでも多少なりとも自分の手でやる、というのは生活に必要な視点だと思います。例えば:移動は電車やタクシー、食事は外食、余暇は飲み会という調子だったら?楽だし楽しいでしょう。漢字が続いたな。気づいたら楽しいまま時間が過ぎていきます。お金はかかるけど、イージーな道です。

けれど、それをずっと続けていたら、流されている、という思いが生まれてくるのではないかと僕は思います。川底に足がつけられずに、ただぷかぷか渓流を下っていくような……。爽やかで気持ちいいけれど、どこか不安になってしまう。

まあ大抵の物事は自分の意思ではどうにもならないでしょう。それでも、たまに流れてくる木や、流れの途中にある岩に捕まってみるのも悪くない、ということです。