2018年1月10日水曜日

覚えているものを、少しでも残す

どうも。
最近『ブルーテガル』の原稿をやるとメンヘラになるマンこと、川口です。


暗い話を書くとアテられるんですよね……。
口に出さなくても、考えたりキーボードで打ち込むだけで影響されちゃうんだから、人間のこころなんて移ろいやすいもの。
アウトプットしようとすると、その瞬間から変質していくということでしょうか。


今月から、しばらく不定期・おろそかにしてしまっていたブログをまたちゃんと動かしていこうと思っています。
ということで、本日の内容も最近書いていなかった日々の考え事~~(ドラえもんが道具を出す時の擬音)


以前にも書いた気がしますが、僕は毎日手帳に、その日の予定だけでなく実際にどう行動したかもつけています。
元々は普通に、スケジュールを忘れないよう先のことだけをメモしていたのですが、いつからか過去に自分がしたことも残すようになっていました。


この動機は不安感のため――あるいは安心感のためです。
自分の行動に無駄な行動がなかったかという心配の解消/確かに合理的かつ価値のある行動をしたという確信の獲得をしたかったから。


ただ、長く(もう5年近く)続けるにつれて、思いがけない効果が起こってしまうことに気づいたように感じています。
忘れるから、覚えておきたいからと思って書き残すほど、実際に覚えておく力=無から思い出す力が低下していっているような感覚があるのです。


これは道理といえば道理です。記憶するための脳細胞を使わず休ませて、外注に出しているわけですから。
筋肉だってトレーニングしなければ衰える。自転車だって乗らなければ錆びつく。ペダルからイヤな音がしますよ~キィ~~ってなもんで。


外に出すことは諸刃の剣かもしれません。
楽だけど、自分のものになるはずだった何かを確実に失う。
アタマを柔らかくして、いつも環境に鋭敏になっていれば確かに記憶に残せたかもしれない、美しい風景やかぐわしい香りも文字には残りません。ただ「綺麗な風景を見た」「良い香りだった」、そういう言葉に集約されてしまいます。


念押ししたいのは、僕が書くことを好いているということです。
辛いことや大変なことに惑乱した気持ちも、胸いっぱいに満ち溢れた嬉しさや愛も、書けば自分の手で扱えるようになって、人に伝えられるという思いを抱けます。


ラクさや忙しさにかまけて、価値のあるものを無味乾燥な事実にしてしまわないよう気を付けること/書き尽くせないものを、少しでもホンモノに近づけられるよう言葉を連ねるという熱意を失わないことが大事でしょうか。


最近絵を勉強しようと思いたち、好きなマンガを模写しています。
描く事も書く事と同じ要素がある?

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